


通信システム本部
サービス技術部長
サービス技術部長
井下 道隆
1995年入社Michitaka Inosita

1995 | ![]() |
高校まで香川県で育ち、首都圏の大学へ進学しましたが、就職は地元へ帰りたいとの思いがいつも頭の片隅にありました。就職活動は四国の企業に絞り、STNetは「情報」で受験、最終面接で「通信部門の人材がたくさん必要なんだけど、どう?」って聞かれ、「がんばります!」と即答した記憶があります。ご縁あって入社しました。 | |
1995-1997 | ![]() |
高知での最初の試練は「早口の土佐弁」。同じ四国なのに言葉がわからないし、怒られているような錯覚に陥りました。しばらくすると言葉にも慣れ、お互い打ち解けるとすごく面倒見が良くて親身になってくれる方ばかりでした。お酒の席も大好きで「素晴らしい場所へよくぞ配属してくれました」と感謝しかありませんでした。 ここでは通信サービスを提供する機器からケーブルまで幅広く経験し、スキルを磨きました。時には業務で失敗もしましたが、優しくフォローしてくれる先輩たちに支えられ、社会人としての礎を育みました。 |
|
![]() |
|
2002-2004 | ![]() |
東京の会社へ出向を命ぜられ、「まさか東京で仕事をすることになるとは・・」。 当時、広域イーサネットサービスは法人向けの主力サービスであった専用線サービスに代わり、急激にお客さま数を伸ばしており、当該サービス用の通信機器を新たに開発するプロジェクトが発足し、そのメンバーに選ばれ、たいへん光栄で身が引き締る思いでした。このプロジェクトでは「私たちのアイデアを、メーカが納得し製品として仕上げてもらう」ため、何か月もメーカと技術協議を重ねました。試作機提供後は技術検証⇒不具合発覚⇒不具合対処のソフトウェアで技術検証 を何十回と重ね、商用機が導入できるまで2年弱の期間はとても貴重な経験を得られました。 |
|
2004-2007 | ![]() |
ピカラサービス開始直前の2004年10月に出向解除となり四国へ戻ってきましたが、そこは慌ただしくまるで戦場のようで、関係者全員が高い熱量で産みの苦しみを乗りきってサービス開始にこぎつけた印象をうけました。そのような場にいれたことも良い経験となりました。ここではIP電話を担当しますが、電話の歴史は長くルールも厳格に明確化されている半面、IP電話に関しては草創期で様々なトラブルが発生し、都度文献を確認しながらメーカや相互接続する事業者と協議し、トラブルをつぶしていく日々でした。 | |
![]() |
|
2013-2014 | ![]() |
2015-2016 | ![]() |
IP管理課ではインターネットの事業者間接続を行う業務に従事しました。この3年間は、インターネットトラフィックが毎年約50%以上増加するなか、ピカラサービスを「高品質・低コスト」で維持するため、国内外の事業者へ積極的にアプローチを行い、接続を増やしていきました。 また、海外の接続イベントに参加する承認をとり、部下を派遣させSTNetを広く認知していただくとともに、その場で得られる様々な知見を広げてもらいました。 インターネットは生き物で刻々と状況が変化します。チャンスは逃すことなく、直ぐにお諮りして了承いただき、タイムリーに対応することができるのもSTNetの強みだと思います。 |
|
2018-2019 | ![]() |
2022年7月よりピカラ10Gサービスが開始いたしました。2018年には10Gサービスに対応した通信機器の導入に携わり、現職ではお客さまの宅内に設置させていただく10G製品の開発、ならびに四国4県の県庁所在地へのインフラ全面整備のプロジェクト責任者として携わりました。期間中、困難な事案が発生しましたが、部下の創意工夫や関係者の支援を得て、無事期間内に終了させることができました。当社通信部門の技術力の高さやチームの結束力を誇りに思います。 | |
![]() |
|
2019-2020 | ![]() |
2020 | ![]() |
![]() 今後の目標
ピカラサービスをお客さまに選んでいただけるよう、これまで培ってきた知見・技術力をベースにSTNet通信事業の発展に寄与していきたいです。また、通信部門の若い技術者たちが自身の仕事に誇りとSTNetへの愛着を持って、楽しく仕事に取り組みスキルアップが図れるよう、人材の育成に取り組みたいです。 |